デザイン思考 共感フェーズ 多様なステークホルダー視点を取り込むフレームワーク
デザイン思考は、ユーザー(顧客)への深い共感を出発点とし、革新的なソリューションを生み出すための強力なアプローチです。特に「共感」フェーズでは、対象となる人々のニーズ、課題、動機を深く理解することを目指します。しかし、複雑な製品開発やサービス提供、あるいは組織内の連携強化といった課題に取り組む際には、単に最終顧客だけでなく、プロジェクトに関わる多様なステークホルダーの視点を理解することが不可欠となります。
製造業のプロジェクトマネージャーの皆様は、開発部門、製造部門、営業部門、サプライヤー、販売代理店、メンテナンス担当者など、多くの関係者と日々関わっておられるかと存じます。それぞれのステークホルダーは異なる目的、制約、期待を持っています。これらの多様な視点を共感フェーズに組み込むことで、より網羅的で実効性のあるインサイト(本質的な洞察)を得ることが可能となります。
本稿では、デザイン思考の共感フェーズにおいて、顧客に加えて多様なステークホルダーの視点を効果的に取り込むための実践的なフレームワークとステップをご紹介します。
多様なステークホルダー視点を取り込む重要性
最終顧客のニーズ理解はもちろん重要ですが、製品やサービスが市場に投入され、運用されるまでには、多くの人々が関与します。例えば、製造部門は生産効率や品質基準に関心を寄せ、営業部門は販売しやすさや顧客への説明の容易さを重視します。サプライヤーは部品供給の安定性やコスト、メンテナンス担当者は保守性や修理のしやすさを考慮します。
これらのステークホルダーの視点、彼らが抱える課題や成功の定義を理解せずにソリューションを検討すると、たとえ顧客にとって魅力的なアイデアであっても、製造が困難であったり、販売チャネルに乗らなかったり、運用コストが膨大になったりする可能性があります。多様なステークホルダーの視点を共感フェーズで捉えることは、単にアイデアの実現性を高めるだけでなく、プロジェクト全体の成功確度を向上させ、関与するすべての関係者にとって価値ある解を見出すことにつながります。
ステークホルダー視点を取り込むための実践フレームワーク
多様なステークホルダーの視点を体系的に理解し、デザイン思考の共感フェーズに統合するためのフレームワークを以下にご紹介します。
ステップ1:主要ステークホルダーの特定と分類
最初のステップは、プロジェクトや課題領域に関わる主要なステークホルダーを網羅的に特定することです。これには、最終顧客だけでなく、社内外のあらゆる関係者が含まれます。
- 内部ステークホルダー: 開発、製造、品質管理、営業、マーケティング、サービス・メンテナンス、購買、経理、経営層など
- 外部ステークホルダー: 最終顧客、販売代理店、サプライヤー、規制当局、地域社会、競合他社(間接的影響)など
これらのステークホルダーを特定したら、プロジェクトへの関与度や影響度に基づいて分類します。シンプルなマトリクス(例:影響度 vs 関心度)などを用いると、優先的に深く理解すべきステークホルダーが明確になります。
ステップ2:ステークホルダーエンパシーマップの作成
特定した主要ステークホルダーそれぞれに対し、「ステークホルダーエンパシーマップ」を作成します。これは、従来の顧客向けエンパシーマップを拡張したものです。対象とするステークホルダーの視点から以下の要素を理解・記述します。
- 言うこと (Says): 彼らが公に表明している意見やコメント
- 考えること (Thinks): 彼らが心の中で考えていること、懸念、目標(必ずしも口に出さない本音)
- 行うこと (Does): 彼らが実際に取っている行動、仕事の進め方、日常業務
- 感じること (Feels): 彼らが抱いている感情、不安、喜び、フラストレーション
- 痛み (Pains): 彼らが直面している課題、障害、リスク、コスト
- 得たいこと (Gains): 彼らが求めている成果、利益、成功、評価
ステークホルダーへのインタビュー、観察、関連資料のレビューなどを通じて情報を収集し、それぞれのステークホルダーエンパシーマップを具体的に記述します。この際、「なぜそうなのか?」と問い続けることが重要です。
ステップ3:ステークホルダー視点からの課題とニーズの抽出
それぞれのステークホルダーエンパシーマップから、彼らが抱える「痛み(課題)」と「得たいこと(ニーズ)」を具体的に抽出します。これは、通常の顧客向け共感フェーズと同様に付箋などに書き出し、整理すると効果的です。
例えば、製造部門であれば「生産ラインの停止」「特定の部品の在庫不足」「複雑な組み立て手順」などが「痛み」として抽出されるかもしれません。「得たいこと」としては「安定した生産量」「効率的なライン設計」「ヒューマンエラーの削減」などが挙げられるでしょう。
ステップ4:多様な視点からのインサイトとPoV(視点)の構築
抽出した多様なステークホルダーの課題とニーズを統合し、より広範で深いインサイトを導き出します。単一のステークホルダーの視点に囚われず、複数のステークホルダーに共通する課題や、あるステークホルダーの課題が別のステークホルダーの機会となりうるといった関係性を探ります。
この多様な視点からのインサイトに基づき、課題を定義するPoV(Point of View)ステートメントを作成します。PoVは通常、「【誰が】、なぜなら【隠されたニーズ】なので、【何に困っている】」という形式で記述されますが、多様なステークホルダーを考慮する場合、複数のPoVを作成したり、より包括的なPoVを作成したりすることが考えられます。
例: * 特定の製造ライン担当者は、複雑な組み立て手順によりエラーが発生しやすく、再作業による時間ロスとフラストレーションを感じている。 * 品質管理部門は、組み立てエラーが製品品質に影響し、顧客からのクレームにつながるリスクを懸念している。 * サービス部門は、フィールドでの修理が難しく、顧客満足度低下とコスト増を招いている。
これらから導かれるインサイト:製品設計の複雑さが、製造現場、品質管理、アフターサービスといった多様な部門に跨がる非効率性とリスクを生んでいる。
PoV例: 「我々は、複雑な製品を製造・保守する社内外のチームが、エラーによる時間とコストを最小限に抑えたいと考えているのはなぜなら、現在の設計が製造・修理プロセスに過度な負担をかけていると感じているからだと信じている。」
このように、複数のステークホルダーの視点を統合することで、顧客体験だけでなく、製品ライフサイクル全体、あるいは組織全体の課題として本質的な問題を見出すことができます。
実践へのヒント
- ワークショップ形式で実施する: 特定のプロジェクトチームだけでなく、関連部門の代表者や可能であれば外部ステークホルダーにも参加してもらい、共感マップ作成やインサイト抽出のワークショップを実施することで、多様な視点を実際にテーブルに乗せることができます。
- 既存情報を活用する: 顧客からのフィードバック、営業報告、製造データ、クレーム記録など、既存の社内情報もステークホルダーの「痛み」や「得たいこと」を理解する上で貴重な情報源となります。
- 仮説を持つが固執しない: 「おそらく製造部門はXXに困っているだろう」といった仮説を持って臨むことは有効ですが、収集した情報に基づいて柔軟に考えを修正することが重要です。
- 視覚化を徹底する: エンパシーマップや抽出された課題・ニーズを模造紙やデジタルツール上で視覚化し、常に参照できるようにすることで、チーム全体の共通理解を深めます。
まとめ
デザイン思考の共感フェーズにおいて、最終顧客に加えて多様なステークホルダーの視点を取り込むことは、特に製造業のような複雑なエコシステムを持つ環境において、本質的な課題発見と実現性の高いソリューション開発のために極めて有効です。本稿でご紹介したステークホルダーエンパシーマップなどのフレームワークを活用し、社内外の多様な関係者の「言うこと」「考えること」「行うこと」「感じること」、そして「痛み」と「得たいこと」への理解を深めてみてください。
この多角的な共感を通じて得られたインサイトは、その後のアイデア発想、プロトタイピング、テストといったフェーズにおいて、より強固な基盤となり、プロジェクトを成功へと導く一助となることでしょう。ぜひ、次のプロジェクトでこのアプローチを試してみてください。