デザイン思考 課題の海から「正しい問題」を特定 優先順位付けフレームワーク
はじめに
デザイン思考の実践において、共感フェーズでユーザーの深い理解を得て、定義フェーズで多くのインサイトや潜在的な課題を洗い出すことは重要なステップです。しかし、そこで生まれた多くの課題候補や「How Might We」(HMW: どのように〜できるだろうか?)クエスチョンの中から、一体どれが最も重要で、最初に、あるいは重点的に取り組むべき「正しい問題」なのかを見極めることは容易ではありません。
特に製造業をはじめとする既存事業に熟練した組織においては、日々の業務やプロジェクトの中で、技術的な課題、コストの課題、品質の課題、顧客要望の課題など、様々な種類の問題が常に存在します。デザイン思考を用いて新しい価値創出を目指す際にも、同様に多くの可能性や課題が浮かび上がってきます。限られた時間、予算、人的リソースの中で、どの問題に焦点を当てるべきか。この選択を誤ると、チームの努力が空回りしたり、期待した成果が得られなかったりするリスクがあります。
この記事では、デザイン思考の定義フェーズで洗い出した「課題の海」の中から、真に解くべき「正しい問題」を特定するための、具体的な優先順位付けの考え方とフレームワークをご紹介します。これらの手法は、チーム全体で合意形成を図りながら、次に進むべき方向を明確にするために役立ちます。
なぜ「正しい問題」の特定と優先順位付けが重要なのか
デザイン思考は「人間中心」のアプローチであり、真にユーザーや顧客のニーズに応えるソリューションを生み出すことを目指します。この目標を達成するためには、解決しようとしている問題が、ユーザーにとって本当に価値のある、取り組むべき問題である必要があります。
「正しい問題」を特定し、優先順位を付けることには、以下の重要なメリットがあります。
- リソースの最適配分: 限られた経営資源(時間、予算、人員)を、最もインパクトの大きい問題解決に集中させることができます。
- 手戻りの削減: 不適切な問題に取り組んでから軌道修正する無駄なプロセスやコストを回避できます。
- チームの集中力向上: チーム全体が共通の重要な問題意識を持つことで、議論やアイデア発想がブレなくなり、生産性が向上します。
- ステークホルダーの納得感醸成: 優先順位付けの基準やプロセスを明確にすることで、なぜその問題に取り組むのか、という理由を社内外のステークホルダーに説明しやすくなります。
- イノベーションの確率向上: 表面的な問題ではなく、ユーザーの深いインサイトに基づいた本質的な問題に取り組むことで、より独創的で有効なソリューションが生まれやすくなります。
共感フェーズで得られた豊富な情報と、定義フェーズで言語化された課題やHMWは、あくまで候補の集合体です。それらを客観的な視点と戦略的な判断に基づいて絞り込み、本当に「解く価値のある問題」として定義し直すプロセスは、デザイン思考を成功に導く上で不可欠なステップと言えます。
問題定義の優先順位付けに役立つフレームワーク
デザイン思考において、洗い出した課題やHMWの優先順位付けを行う際に有効なフレームワークはいくつか存在します。ここでは、特に実践的でチームでの議論に適した手法をいくつかご紹介します。
1. 影響度/実現可能性マトリクス (Impact/Effort Matrix)
これは、多くのビジネスシーンで意思決定に使われる非常にポピュラーなフレームワークですが、デザイン思考で生まれた課題やHMWの評価にも有効です。縦軸に「ユーザーへの影響度(Impact)」、横軸に「実現可能性(Effort, または Feasibility)」を取り、それぞれの課題をプロットします。
- 影響度: その課題を解決することで、ユーザーの課題がどれだけ解消されるか、あるいはどれだけ大きな価値を提供できるか、という視点で評価します。デザイン思考においては、共感フェーズで得られたユーザーのインサイトやニーズとの関連性が重要な評価基準となります。
- 実現可能性: その課題解決策を実行するために必要なコスト(時間、予算、技術、組織変更など)や難易度を評価します。既存のリソースや制約条件を踏まえて現実的に判断します。
マトリクスは通常、以下の4つの象限に分割されます。
- 高影響度・低実現可能性: 理想的な課題です。小さな労力で大きな成果が期待できます。最初に優先的に取り組むべき領域です。
- 高影響度・高実現可能性: 重要な課題です。取り組むには労力がかかりますが、得られる成果も大きいため、戦略的に取り組むべき領域です。リソース配分を検討します。
- 低影響度・低実現可能性: 簡単に実行できますが、得られる成果は小さい課題です。後回しにするか、より優先度の高い課題解決の副産物として対応できないか検討します。
- 低影響度・高実現可能性: 取り組むべきではない課題です。多くの労力がかかるにもかかわらず、ユーザーへの影響が小さい場合、その問題自体を見直す必要があります。
チームでそれぞれの課題候補について議論し、上記のマトリクス上に付箋などを用いてプロットすることで、視覚的に優先順位を整理できます。
2. N.U.F.D.U.Sテスト (N.U.F.D.U.S Test)
これは、特にアイデア創出フェーズで生まれたアイデアの評価に使われることが多いですが、問題定義の段階で「どの問題に取り組むか」を多角的に評価する際にも応用できます。以下の6つの視点から各課題候補を評価します。
- N (Need): その課題解決は、ユーザーにとって本当に必要なものか。深刻なペインポイントを解決するものか。
- U (Uniqueness): その課題設定や解決策のアプローチは、競合に対して独自性があるか。差別化要因となり得るか。
- F (Feasibility): その課題を解決することは、技術的、組織的に実現可能か。リソースは十分か。
- D (Durability): その課題解決による成果や競争優位性は、どの程度持続可能か。陳腐化しにくいか。
- U (Usability): その課題解決後のソリューションは、ユーザーにとって使いやすいか。利用される可能性が高いか。
- S (Scalability): その課題解決のアプローチやソリューションは、他の市場や顧客層に展開可能か。規模を拡大できるポテンシャルがあるか。
各課題候補に対して、チームでこれらの項目を議論し、スコアリングすることで、総合的に評価・比較することが可能です。N.U.F.D.U.Sテストは、単なる「できる/できない」だけでなく、ビジネス的な視点も加えて問題を評価するのに役立ちます。
優先順位付けを実践するワークショップステップ
洗い出した課題やHMWのリストを用いて、チームで優先順位付けを行うための具体的なワークショップステップをご紹介します。
- 課題リストの準備: 共感・定義フェーズで洗い出した全ての課題候補やHMWクエスチョンを、リストアップし、全員が見えるように準備します(付箋、ホワイトボード、デジタルツールなど)。
- 評価基準の確認/設定: 使用するフレームワーク(例: 影響度/実現可能性)と、それぞれの評価軸(例: 影響度は「大中小」の3段階、実現可能性は「高・中・低」の3段階)の定義をチームで共有します。定義が曖昧な場合は、チームの実情に合わせて具体的にすり合わせます。
- 個別の評価: 各チームメンバーが、準備された課題リストのそれぞれの項目について、事前に定義された評価基準に基づいて個別に評価を行います。この際、評価理由を簡潔にメモしておくと、次のステップでの議論が円滑に進みます。
- チームでの議論とプロット: 課題リストの項目を一つずつ取り上げ、各メンバーの評価を発表し、その理由について議論します。特に評価が分かれた項目については、なぜそう評価したのか、根拠となるインサイトや制約条件などを共有し、相互理解を深めます。議論を通じてチームとしての合意形成を図り、使用するフレームワーク(例: 影響度/実現可能性マトリクス)上にプロットします。
- 優先順位の特定: マトリクス上での位置や、N.U.F.D.U.Sテストのスコアなどを参考に、チームとして最も優先的に取り組むべき課題(象限、高スコア項目など)を特定します。
- 「正しい問題」としての再言語化: 優先順位が高いと判断された課題候補について、デザイン思考における「正しい問題」としての定義を改めて洗練させます。例えば、最も重要なHMWクエスチョンを一つまたは少数に絞り込み、次のアイデア発想フェーズに進むための明確な問いとして確立します。必要に応じて、特定のユーザーグループに焦点を当てるなど、より具体的な問題設定を行います。
このプロセスは、単に多数決で決めるのではなく、共感フェーズで得られたデータやインサイトを根拠として、チーム全体で深く議論し、納得感を持って進めることが重要です。
優先順位付けを成功させるためのポイント
- データとインサイトに基づいた評価: 感情や個人的な意見だけでなく、ユーザーインタビューの結果、行動観察、市場データなど、共感フェーズで得られた具体的な情報やインサイトを評価の根拠とします。
- チームメンバーの多様な視点: 開発、マーケティング、営業、企画など、多様なバックグラウンドを持つチームメンバーが参加することで、多角的な視点から課題を評価できます。
- 客観的な基準設定の努力: 評価基準は、可能な限り曖昧さを排し、チーム内で共通の理解が得られるように具体的に定義します。完全に客観的であることは難しい場合でも、主観が入りすぎないように意識します。
- 「完璧」を目指さない: 最初から完璧な優先順位付けは難しい場合もあります。試行錯誤を前提とし、まずは最も可能性の高い問題から取り組んでみるという柔軟な姿勢も重要です。プロトタイピングやテストを通じて、問題設定自体が適切であったかを検証し、必要に応じて見直すこともデザイン思考のプロセスの一部です。
- なぜその問題に取り組むのか、を常に意識: 優先順位付けのプロセス全体を通じて、「私たちは誰のために、どのような問題を解決しようとしているのか?」というデザイン思考の根幹にある問いをチームで共有し続けます。
まとめ
デザイン思考の定義フェーズは、共感フェーズで得た情報を整理し、解決すべき「問題」を明確にする極めて重要な段階です。しかし、この段階で多くの課題候補やHMWが生まれるため、どの問題に取り組むべきかを選択する「優先順位付け」のプロセスが不可欠となります。
この記事でご紹介した「影響度/実現可能性マトリクス」や「N.U.F.D.U.Sテスト」といったフレームワークは、チーム全体で客観的に課題を評価し、合意形成を図るための有効なツールです。これらの手法を活用し、チームで議論を深めることで、「課題の海」の中から真にユーザーにとって価値があり、かつ自組織が取り組むべき「正しい問題」を特定することが可能となります。
正しい問題設定は、続くアイデア発想、プロトタイピング、テストの各フェーズの質を決定づける基盤となります。ぜひ、これらのフレームワークをチームでのワークショップに取り入れ、デザイン思考の実践をより効果的なものとしてください。