既存プロセスにデザイン思考を導入 効果的な業務改善のステップ
既存業務の壁を破るデザイン思考の力
多くの組織、特に製造業の現場では、長年培われた既存の業務プロセスが安定した運用を支えています。しかし、時にはその「当たり前」のプロセスが、非効率の原因となったり、変化への対応を妨げたりする壁となることもあります。新しい製品開発や新規事業だけでなく、日々の既存業務やプロセスの改善においても、発想力を刺激し、本質的な課題解決へと導くアプローチが求められています。
ここで注目されるのが、デザイン思考です。デザイン思考は、ユーザー(顧客やエンドユーザーだけでなく、社内の担当者や関係者も含まれます)への深い共感から出発し、問題の定義、アイデア創出、プロトタイピング、そしてテストとフィードバックの繰り返しを通じて、革新的なソリューションを生み出す体系的なアプローチです。このアプローチは、新規開発にのみ有効であると誤解されがちですが、実は既存業務の「見慣れた」風景の中に潜む課題を発見し、関係者にとってより良いプロセスを共創するためにも非常に強力なツールとなります。
本稿では、デザイン思考を既存業務・プロセス改善に適用するための具体的なステップと、実践におけるポイントをご紹介します。既存業務の効率化、品質向上、そして働く人々の満足度向上を目指す皆様にとって、デザイン思考が新たな視点と実践的な手法を提供することを願っております。
なぜ既存業務改善にデザイン思考が有効なのか
既存業務の改善というと、一般的にはデータ分析に基づいたボトルネック特定や、リーン思考による無駄の排除といった手法がまず思い浮かぶかもしれません。これらのアプローチは有効ですが、デザイン思考を加えることで、より人間中心の視点を取り入れ、関係者の潜在的な不満やニーズを発見し、創造的な解決策を生み出すことが可能になります。
- 「当たり前」への問いかけ: 長く続いている業務プロセスには、非効率や不便があっても「こういうものだ」と疑問に思わなくなっていることがあります。デザイン思考の共感フェーズは、こうした「当たり前」に立ち止まり、関係者の視点から業務プロセスを問い直す機会を提供します。
- 隠れた課題の発見: データだけでは見えにくい、業務担当者やそのプロセスに関わる人々の感情、モチベーション、フラストレーションといった定性的な側面に焦点を当てることができます。これにより、効率化だけではない、働く人の満足度やエンゲージメントに関わる本質的な課題が見えてきます。
- 関係者の巻き込みと共創: デザイン思考のプロセスは、現場担当者や関連部署のメンバーを積極的に巻き込みながら進めます。彼らはその業務プロセスの「ユーザー」であり、同時に最も具体的な課題を理解し、解決策のアイデアを持つ「専門家」でもあります。共に課題を定義し、アイデアを生み出すことで、実行可能で受け入れられやすい改善策が生まれやすくなります。
- 迅速な試行錯誤: 大規模なシステム改修や組織変更を待たずに、アイデアをプロトタイプとして素早く形にし、現場でテストすることができます。これにより、リスクを抑えながら効果を確認し、改善を繰り返すアジャイルなアプローチが可能となります。
既存業務改善のためのデザイン思考ステップ
デザイン思考の基本的な5つのステップ(共感、定義、発想、プロトタイプ、テスト)は、既存業務改善にもそのまま適用できます。具体的な進め方を見ていきましょう。
ステップ1:共感(Empathize) 関係者の「リアル」を理解する
このフェーズでは、改善対象の業務プロセスに関わる人々(業務担当者、管理者、関連部署のメンバー、場合によってはそのプロセスを経て提供される製品やサービスのユーザーなど)の視点に立ち、彼らがその業務プロセスをどのように経験しているかを深く理解することを目指します。
- 現場観察: 実際に業務が行われている様子を観察します。手順だけでなく、担当者の表情やちょっとした仕草、使われているツールや環境などを注意深く見ます。
- インタビュー: 業務担当者や関係者に、日々の業務で感じていること、困っていること、非効率だと感じること、もっとこうなったら良いのに、といった本音を聞き出します。型どおりの質問だけでなく、「〜の時、どのように感じますか?」「なぜそのように行うのですか?」といったオープンな質問が有効です。
- ジャーニーマップ作成: 対象の業務プロセスにおける関係者の行動、思考、感情を時系列で可視化します。どの段階で手間取っているか、どの段階で不満を感じているかなどが明確になります。
- データ収集: 業務にかかる時間、エラー率、担当者の問い合わせ件数、関係者からのフィードバックデータなども、共感を深めるための客観的な情報として活用できます。
ステップ2:定義(Define) 本当に解くべき課題を明確にする
共感フェーズで集めた情報をもとに、関係者が抱える真の課題(インサイト)は何なのかを明確にします。単なる非効率の特定に留まらず、「なぜそれが問題なのか」「その問題を解決することで、関係者にとってどのような価値が生まれるのか」といった深いレベルで課題を定義します。
- アフィニティダイアグラム: 集めた情報をカードなどに書き出し、類似するものをグルーピングしていきます。そこからパターンや潜在的な課題の領域が見えてきます。
- ペルソナ(業務担当者版): 典型的な業務担当者の人物像を作成し、その担当者が業務プロセスで経験する具体的な状況、ニーズ、フラストレーションを記述します。
- POV(Point Of View)ステートメント: 「[特定の関係者]は、[特定のニーズ]を持っています。なぜなら、[驚くべきインサイト]だからです。」という形式で、発見したインサイトに基づき、解くべき課題を簡潔かつ人間中心の視点で定義します。例:「出荷担当者は、伝票の二重入力をなくしたいと思っています。なぜなら、入力ミスによる手戻りが頻繁に発生し、残業の原因になっているからです。」
- HMW(How Might We)クエスチョン: 定義した課題を解決するための問いを立てます。「どうすれば、[POVで定義した課題]を解決できるだろうか?」という問いかけは、次の発想フェーズへと自然につながります。例:「どうすれば、出荷担当者が伝票入力を効率的かつ正確に行えるだろうか?」
ステップ3:発想(Ideate) 既成概念にとらわれずアイデアを生み出す
定義された課題(HMWクエスチョン)に対して、できるだけ多くの、多様なアイデアを創出するフェーズです。ここでは、従来のやり方や制約にとらわれず、自由な発想を奨励します。
- ブレインストーミング: HMWクエスチョンに対して、チームでアイデアを出し合います。「質より量」「批判禁止」「ユニークなアイデアを歓迎」「アイデアを組み合わせる」といったルールに基づいて、短時間で多くのアイデアを出します。
- SCAMPER: 既存の業務プロセスやツールを構成要素に分解し、それぞれを「代替(Substitute)」「組み合わせ(Combine)」「応用(Adapt)」「修正(Modify)」「別の使い道(Put to another use)」「排除(Eliminate)」「逆転・再配置(Reverse/Rearrange)」の視点で見直すことで、改善アイデアを系統的に発想します。
- 強制連想法: 全く関係のない単語や画像などを引き合いに出し、そこから改善対象の業務プロセスに関するアイデアを発想します。
ステップ4:プロトタイプ(Prototype) アイデアを「見える形」にする
発想したアイデアの中から有望なものを選び、実際に試すことができる「形」にします。既存業務改善におけるプロトタイプは、新しいツールやシステムの本格的な開発を意味するのではなく、アイデアの核心部分を素早く検証するための簡易的なものになります。
- 簡易マニュアル/フロー図の作成: 新しい手順や役割分担の案をまとめたマニュアルやフロー図を作成します。
- チェックリスト/テンプレート: 新しい確認項目や、入力作業を効率化するテンプレートなどを作成します。
- モックアップ/ワイヤーフレーム: 新しいツールのUIや、既存システムの改修イメージなどを簡易的に作成します。
- ロールプレイング: 実際に新しい業務プロセスを想定して、関係者で役割を演じてみます。
- 小規模試行: 限定された期間や範囲で、新しいプロセスの一部を試行的に導入してみます。
ステップ5:テスト(Test) 現場で試してフィードバックを得る
作成したプロトタイプを実際の業務環境に近い状況で試してもらい、関係者からのフィードバックを収集します。このフェーズの目的は、プロトタイプの良し悪しを判断することではなく、アイデアの有効性、課題の解決度合い、予期せぬ問題などを発見し、さらなる改善につなげることです。
- プロトタイプの利用観察: 関係者がプロトタイプを実際に使っている様子を観察し、どこで迷ったり、困ったりしているかなどを記録します。
- ユーザーテスト/インタビュー: プロトタイプを試してもらった関係者から、使い勝手、効果、改善点などについて具体的なフィードバックを聞き出します。
- 定量データの収集: プロトタイプ適用後の業務にかかる時間、エラー率、満足度などを定量的に測定します。
- フィードバックの分析と改善: 集めたフィードバックを分析し、プロトタイプやアイデアそのものを改善したり、課題の定義を再検討したりします。このプロセスは反復的であり、必要に応じて前のフェーズに戻ります。
既存業務にデザイン思考を適用する際のポイント
- 「ユーザー」は誰かを見極める: 改善対象の業務プロセスの直接の担当者だけでなく、そのプロセスから影響を受ける人すべてをユーザーとして捉え、彼らの視点を理解することが重要です。
- 小さな一歩から始める: 最初から業務プロセス全体をデザイン思考で改善しようとせず、特定のサブプロセスや、関係者が特に課題を感じている一部に焦点を当てることから始めます。小さな成功体験を積み重ねることが、継続的な改善文化の醸成につながります。
- 現場担当者の「共創者」としての位置づけ: 現場担当者は単なる「ユーザー」ではなく、その業務を最もよく知る「専門家」であり、「共創者」です。彼らを企画段階から積極的に巻き込み、アイデア出しやプロトタイピング、テストに参画してもらうことが成功の鍵となります。
- データと感情のバランス: 既存業務には多くの定量データが存在するはずです。これらのデータを活用しつつ、デザイン思考で得られる関係者の感情や体験といった定性情報を組み合わせることで、より全体的で本質的な理解と解決策が可能になります。
- 継続的なプロセスとして捉える: 業務改善は一度行えば終わりではありません。デザイン思考の反復的な性質を活かし、テストで得られた学びをもとに継続的に改善を続ける姿勢が重要です。
まとめ
デザイン思考は、新規のイノベーションだけでなく、既存業務の壁を破り、関係者にとってより良いプロセスを創造するための強力なアプローチです。人間中心の視点から「当たり前」を問い直し、関係者の潜在的な課題を深く理解し、迅速な試行錯誤を通じて解決策を磨き上げていくプロセスは、日々の業務に新たな視点と活力をもたらします。
本稿でご紹介したステップとポイントが、皆様が既存業務やプロセスの改善に取り組む際の一助となれば幸いです。デザイン思考を現場で実践し、継続的な改善のサイクルを回すことで、業務の効率化や品質向上はもちろんのこと、そこで働く人々のモチベーションや創造性の向上にもつながるはずです。ぜひ、小さな一歩からデザイン思考を取り入れてみてください。