製造業向け デザイン思考とアジャイル開発の組み合わせ 開発プロセスを加速するハイブリッド戦略
製造業における製品開発やサービス開発は、顧客ニーズの多様化、技術の進化、市場の変化といった不確実性の高い環境下で進行することが一般的です。このような状況において、従来のウォーターフォール型開発プロセスだけでは対応が難しくなるケースが増えています。ここで注目されているのが、デザイン思考とアジャイル開発という二つのアプローチを組み合わせるハイブリッドな戦略です。
デザイン思考は「何を開発すべきか」という問いに対し、顧客(ユーザー)への深い共感を通じて本質的な課題を発見し、創造的なアイデアを生み出すことに強みがあります。一方、アジャイル開発は「どう開発するか」という問いに対し、短いサイクルでの開発と継続的なフィードバックを通じて、変化に柔軟に対応しながら効率的にプロダクトを完成させることに長けています。
これら二つの手法は、一見異なるもののように見えますが、顧客中心であること、イテレーション(反復)を重視すること、そしてチームでの協働を重視する点において共通しています。この共通点を活かし、それぞれの強みを組み合わせることで、製造業における複雑な開発プロジェクトを、より顧客志向で、迅速かつ効率的に推進することが可能になります。
本稿では、製造業のプロジェクトマネージャーの皆様が、デザイン思考とアジャイル開発のハイブリッド戦略をどのように実践できるかについて、具体的な連携ポイントを交えながら解説いたします。
デザイン思考とアジャイル開発 それぞれの役割
まず、デザイン思考とアジャイル開発が開発プロセスにおいて、それぞれどのような役割を担うかを確認します。
- デザイン思考: 主に開発プロセスの上流工程、つまり「何を創るべきか」を見つけ出すフェーズでその力を発揮します。共感、定義、アイデア発想、プロトタイプ作成、テストといったフェーズを通じて、顧客の隠れたニーズやインサイトを発見し、潜在的な課題に対する革新的な解決策のアイデアを生み出します。まだ形になっていないコンセプトや、方向性が定まっていない新規事業・プロダクト開発において、特に重要な役割を果たします。
- アジャイル開発: 主に開発プロセスの中流から下流工程、つまり「見つけたものをどうやって効率的に創り、改善していくか」というフェーズでその力を発揮します。スプリントという短い開発サイクルの中で、計画、開発、テスト、レビュー、リリースを繰り返し、動くソフトウェアやプロダクトの最小単位(MVP: Minimum Viable Product)を早期に提供し、フィードバックを得ながら改善を重ねます。仕様が変わりやすいプロダクトや、市場への早期投入が求められるケースに適しています。
製造業におけるハイブリッド戦略の連携ポイント
デザイン思考とアジャイル開発を組み合わせる際、製造業の文脈では特に以下の連携ポイントが重要となります。
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共感・定義フェーズとプロダクトバックログの連携
- デザイン思考の共感フェーズで得られた顧客のインサイトや、定義フェーズで明確になった本質的な課題は、アジャイル開発におけるプロダクトバックログの主要なインプットとなります。
- ペルソナ、カスタマージャーニーマップ、POV(Point of View)ステートメントなどのデザイン思考の成果物は、プロダクトのユーザーーストーリーを作成する際の強力な基盤となります。「誰が(ペルソナ)、何をしたい(ニーズ)、なぜなら(インサイト)」といった視点をユーザーーストーリーに反映することで、開発チーム全体の顧客理解を深めることができます。
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アイデア・プロトタイプフェーズとスプリントゴールの連携
- デザイン思考で生まれた複数のアイデアやプロトタイプは、アジャイル開発のスプリントゴールやスプリントバックログの具体的な検討材料となります。
- 特にプロトタイピングは、アイデアを素早く形にし、ユーザーや関係者からフィードバックを得るための強力な手段です。このフィードバックループは、アジャイル開発のスプリントレビューやデモと非常に親和性が高いです。デザイン思考で作成した初期のプロトタイプをスプリントの成果物として提示し、フィードバックを次のスプリントの計画に活かすといった連携が可能です。
- 物理的な製品の場合、モックアップやCADデータ、シミュレーション結果なども「プロトタイプ」として機能し、アジャイル開発の初期スプリントで検証する対象となり得ます。
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テストフェーズと継続的なフィードバックループ
- デザイン思考のテストフェーズは、作成したプロトタイプをユーザーに体験してもらい、率直なフィードバックを得ることを目的とします。
- アジャイル開発もまた、各スプリントの終わりに完成したプロダクトの一部(インクリメント)に対して、プロダクトオーナーやステークホルダーからフィードバックを得ることを重視します。
- この両者のフィードバックプロセスを統合することで、開発の初期段階から継続的に顧客の声を反映させることが可能になります。テストで得られた課題や改善点は、次のスプリントの優先順位付けに直接反映させることができます。製造業の場合、試作品に対する技術的な検証結果と、ユーザーからの使い勝手に関するフィードバックを同時に考慮することが重要です。
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DiscoveryとDeliveryの連携
- デザイン思考が担う「何を創るか」を探求するフェーズをDiscovery、アジャイル開発が担う「どうやって創るか」を実行するフェーズをDeliveryと見立てることができます。
- 理想的には、Discoveryチーム(デザイン思考を推進する少数精鋭のチーム)とDeliveryチーム(アジャイル開発チーム)が密接に連携し、Discoveryで得られた検証済みのインサイトやプロトタイプから、Deliveryで開発が進められるという流れを構築します。
- 製造業では、企画・R&D部門がDiscoveryを、設計・製造・ソフトウェア開発部門がDeliveryを担うような体制が考えられます。部門間の壁を越えた情報共有と協働が成功の鍵となります。
製造業での実践に向けた考慮事項
デザイン思考とアジャイル開発のハイブリッド戦略を製造業で導入・実践する際には、いくつかの考慮事項があります。
- 物理製品開発への適用: ソフトウェア開発に比べて、物理製品の開発はプロトタイピングや変更にコストと時間がかかる場合があります。全ての開発プロセスを完全にアジャイル化することは現実的ではないかもしれません。デジタル部分(IoT機能、UI/UXなど)やサービス部分にデザイン思考とアジャイル開発を積極的に適用し、物理的な部分は影響を最小限に抑えつつ連携させるなど、柔軟な適用が必要です。
- 既存プロセスとの連携: 多くの製造業では、品質管理や安全基準に関する厳格なプロセス(例: ステージゲート)が存在します。デザイン思考とアジャイル開発を導入する際は、これらの既存プロセスとどのように連携させるか、あるいは部分的に代替させるかを慎重に検討する必要があります。初期のコンセプト検証やリスクの高い技術要素の検証にハイブリッドアプローチを活用し、その後既存の厳格な開発プロセスに乗せるなどの方法が考えられます。
- 組織文化とチームのスキル: 両手法の実践には、失敗を恐れずに試行錯誤する文化や、異なるバックグラウンドを持つメンバー間の協力が不可欠です。デザイン思考的な顧客視点と、アジャイル的な柔軟性・透明性を持つチームの育成が重要です。
まとめ
デザイン思考とアジャイル開発を組み合わせたハイブリッド戦略は、製造業が不確実なビジネス環境の中で、顧客中心の革新的な製品やサービスを迅速に生み出すための強力なアプローチとなり得ます。デザイン思考で「何を創るべきか」を深く探求し、アジャイル開発で「見つけたものをどう創り、改善するか」を効率的に実行することで、開発プロセス全体を加速させ、市場の変化に柔軟に対応することが可能になります。
本稿で紹介した連携ポイントや考慮事項を参考に、ぜひ皆様のプロジェクトにおいて、デザイン思考とアジャイル開発のハイブリッド戦略の実践をご検討ください。顧客への深い共感と、柔軟な反復開発を通じて、新たな価値創造を実現できることを期待いたします。