顧客の製品利用体験を可視化 製造業向けサービスブループリント実践ガイド
製造業における顧客体験デザインの重要性とサービスブループリント
近年、製造業においても、高品質な製品を提供するだけでなく、顧客が製品をどのように発見し、購入し、使用し、サポートを受け、最終的にどのように関わりを終えるか、といった製品を取り巻く「体験」全体への注目度が高まっています。これは、製品自体のコモディティ化が進む中で、顧客ロイヤルティの向上や新たな収益源の確保において、体験価値が差別化の重要な要素となっているためです。
製品単体ではなく、顧客が製品を利用する前後のプロセスや、それに付随するサービスも含めた体験全体を把握し、改善するためには、単一部署の視点だけでは不十分です。営業、開発、製造、サービス、サポート、マーケティングなど、様々な部署が関わる複雑な顧客体験を、共通の理解のもとで可視化し、課題を発見し、改善策を検討する必要があります。
ここでデザイン思考のアプローチが有効となります。デザイン思考は、顧客(ユーザー)への深い共感から出発し、課題定義、アイデア創出、プロトタイピング、テストというプロセスを経て、顧客にとって本当に価値のあるものを生み出すためのフレームワークです。このデザイン思考の実践において、サービスブループリントは、複雑な顧客体験とそれを支える組織内部のプロセスを可視化するための強力なツールとなります。
本記事では、製造業のプロジェクトマネージャーやビジネスパーソンが、サービスブループリントをどのように活用し、製品とサービスの体験全体をデザインできるのかについて、その基本と具体的な実践ステップを解説いたします。
サービスブループリントとは
サービスブループリントは、サービスデザインにおいて広く用いられるフレームワークですが、製造業における「製品+サービス」といった複合的な顧客体験の理解にも応用可能です。これは、特定の顧客体験のシナリオを時系列で分解し、その各ステップにおける顧客の行動と、それを支える組織側の行動や物理的な要素を詳細にマッピングするものです。
サービスブループリントの主な構成要素は以下の通りです。
- 顧客行動 (Customer Actions): 顧客が体験の各段階で行う具体的な行動や思考、感情などを記述します。これは顧客のジャーニーマップと連動することが多い部分です。
- 可視的証拠 (Physical Evidence): 顧客が体験中に接触する物理的なもの(ウェブサイト、製品、店舗、書類、設備など)やデジタルな要素を記述します。これは顧客の体験を形作る具体的な要素です。
- オンステージ行動 (Frontstage Actions): 顧客に直接見える形でサービスやサポートを提供する担当者の行動や、顧客が直接操作するシステム(アプリ、UIなど)の挙動を記述します。
- バックステージ行動 (Backstage Actions): オンステージ行動を支える、顧客からは直接見えない組織内部の行動やシステム、プロセスを記述します。
- サポートプロセス (Support Processes): バックステージ行動を支える、他の部署や外部パートナーの行動、および組織の基盤となるシステムやルールなどを記述します。
これらの要素は、以下の3本の線によって関係性が示されます。
- インタラクションライン (Line of Interaction): 顧客行動とオンステージ行動を隔てる線です。顧客が組織と直接的に接するポイントを示します。
- 可視性の線 (Line of Visibility): オンステージ行動とバックステージ行動を隔てる線です。顧客から見える部分と見えない部分を区別します。
- 内部的なインタラクションライン (Line of Internal Interaction): バックステージ行動とサポートプロセスを隔てる線です。組織内部の異なる部門やプロセス間の連携を示します。
サービスブループリントを作成することで、顧客体験の全体像と、それを支える複雑な内部構造を一覧できます。
製造業におけるサービスブループリントの意義とメリット
製造業でサービスブループリントを活用することには、いくつかの重要な意義があります。
- 顧客体験の全体像把握: 製品の品質だけでなく、購入前の情報収集、購入プロセス、納品、設置、使用中のサポート、メンテナンス、消耗品供給、さらには廃棄・リサイクルまで、製品ライフサイクル全体における顧客との接点と体験を漏れなく把握できます。
- サービス要素の可視化: 製品に付随する、あるいは製品そのものがサービス化している(XaaSなど)場合の、目に見えにくいサービスプロセスや顧客とのインタラクションを明確にできます。例えば、IoTデバイスからのデータ収集と活用、リモート監視、予兆保全サービスなどがこれに当たります。
- 部署間連携の強化: 顧客体験は営業、マーケティング、開発、製造、品質管理、サービス、サポート、物流など、多くの部署の連携によって成り立っています。サービスブループリントは、これらの部署がどのように連携し、顧客体験に影響を与えているのかを共有し、共通認識を持つための有効なツールです。各部署の役割と依存関係を明確にすることで、サイロ化を防ぎ、円滑な情報連携を促進できます。
- 課題と機会の特定: 複雑な顧客体験プロセスの中で、顧客が不便を感じるポイント(ペインポイント)や、組織内部の非効率なプロセス、そして顧客体験を向上させるための隠れた機会を具体的に特定できます。
- イノベーションの方向性検討: 特定された課題や機会に基づき、どのような新しいサービスや製品機能、あるいはプロセス改善が顧客体験価値を高めるのか、具体的な検討を行う際の基盤となります。
- コミュニケーションツール: 開発チーム、サービス部門、営業部門など、異なるバックグラウンドを持つ関係者が、同じ図を見ながら議論できるため、共通言語として機能します。
サービスブループリントの実践ステップ
サービスブループリントを作成し、活用するための具体的なステップは以下の通りです。
ステップ1: 対象となる顧客体験とスコープの定義
まず、どの製品またはサービス、あるいは顧客体験のどの特定のシナリオに焦点を当てるかを明確に定義します。例えば、「新製品の導入から最初の保守点検まで」「顧客が技術的な問題に直面し、サポートを受けるプロセス」など、具体的かつ現実的なスコープを設定します。
ステップ2: チームの編成
サービスブループリント作成は、複数の部署が参加する共同作業が最も効果的です。顧客と直接接する営業・サポート部門、製品を理解している開発・製造部門、マーケティング部門、関連するシステムを運用する部門など、幅広い視点を持つメンバーでチームを編成します。プロジェクトマネージャーがファシリテーター役を務めることが多いでしょう。
ステップ3: 顧客ジャーニーの描き起こし
対象となる顧客体験について、顧客がどのように行動し、どのような感情を抱くかを時系列で詳細に描き起こします。これは、事前に顧客インタビューや行動観察などを行い、共感フェーズで収集したインサイトに基づくとより精度が高まります。顧客の目標、各段階での行動、思考、感情などを具体的に記述します。
ステップ4: ブループリント要素のマッピング(ボトムアップ or トップダウン)
描き起こした顧客ジャーニーに沿って、ブループリントの各要素をマッピングしていきます。進め方としては、顧客行動から始めて、それに対応するオンステージ、バックステージ、サポートプロセスを掘り下げていく「トップダウン」アプローチや、既存の内部プロセスを書き出し、それが顧客体験にどう影響しているかを見ていく「ボトムアップ」アプローチ、あるいはそれらを組み合わせる方法があります。
ワークショップ形式で、ホワイトボードや模造紙、あるいはデジタルツール(Miro, Muralなど)を使用し、付箋などを活用しながら視覚的にマッピングを進めるのが一般的です。
- 顧客行動: ステップ3で作成した顧客ジャーニーを配置します。
- 可視的証拠: 各顧客行動のステップで、顧客が物理的に触れるもの、見るもの(ウェブサイト、アプリ画面、製品本体、取扱説明書、パッケージ、請求書など)を記述します。
- オンステージ行動: 顧客行動に対応する、顧客に直接見える組織側の行動(営業担当者の説明、サポートオペレーターの対応、製品のUI操作に対するシステム応答など)を記述します。
- バックステージ行動: オンステージ行動を支える、顧客には見えない内部の行動(サポートデータベースの検索、顧客情報の確認、サービス履歴の入力、リモート診断ツールの実行など)を記述します。
- サポートプロセス: バックステージ行動を支える他の部署やシステム(経理システムでの請求処理、倉庫からの部品手配、製造部門へのフィードバック、データ分析基盤など)を記述します。
それぞれの要素間に、インタラクションラインや可視性の線を引いて関係性を示します。
ステップ5: 課題と機会の特定
完成したサービスブループリント全体をチームでレビューします。以下の観点から課題や機会を探します。
- 顧客のペインポイント: 顧客行動の特定のステップで、顧客がフラストレーションを感じている箇所はどこか。
- 組織内部のボトルネック: バックステージやサポートプロセスで、処理が滞っている箇所、遅延が発生している箇所はどこか。
- 部署間の連携不足: 異なる部署間のインタラクションラインや内部的なインタラクションライン上で、情報の断絶や認識のずれが生じている箇所はどこか。
- 可視的証拠の課題: 顧客が接触する物理的・デジタルな要素が、顧客体験を阻害している箇所はどこか。
- 非効率なプロセス: 同じ情報が何度も入力されている、手作業が多いなど、非効率な内部プロセスはどこか。
- イノベーションの機会: 顧客が満たされていないニーズや、改善によって顧客体験価値を大きく向上させられる可能性のある箇所はどこか。
特定された課題や機会を付箋などに書き出し、ブループリント上の関連する箇所に貼り付けていきます。
ステップ6: 改善策・新規アイデアの検討
特定された課題や機会に対して、デザイン思考のアイデア発想の手法(ブレインストーミング、SCAMPERなど)を用いて、具体的な改善策や新しいサービスアイデアを検討します。これらのアイデアが、ブループリント上のどの部分に影響を与えるのかを考え、必要に応じてブループリントを修正・追記していきます。この段階で、アイデアが顧客体験全体に与える影響をシミュレーションできます。
ステップ7: プロトタイピングとテスト計画
検討したアイデアの中から有望なものを選択し、プロトタイピングとテストの計画を立てます。サービスに関するプロトタイプは、物理的なモックアップだけでなく、ロールプレイング、ストーリーボード、簡単なシステムシミュレーションなど様々な形態が考えられます。ブループリントは、テストする対象(体験のどの部分か)、テストで確認すべきこと(顧客の反応、内部プロセスの実行可否など)、そしてどのステークホルダーからのフィードバックが必要かなどを明確にするのに役立ちます。
製造業での具体的な活用シーン(例)
- 製品販売後のサポート体験向上: 製品購入後、顧客が技術的な問題に直面した際の問い合わせ、リモートサポート、オンサイト修理といった一連の体験をブループリント化し、顧客の待ち時間、担当部署間の引き継ぎ、情報共有のボトルネックを特定。チャットボット導入、FAQサイト改善、サポート担当者向け情報システムの統合といった改善策を検討する。
- 消耗品・部品供給プロセスの最適化: 製品の維持に必要な消耗品や交換部品の注文、支払い、配送、交換といったプロセスをブループリント化。顧客の注文の煩雑さ、配送遅延、正しい部品が届かないといったペインポイントを発見し、ECサイトの改善、在庫管理システムの最適化、定期配送サービスの導入などを検討する。
- IoTデータ活用サービスの設計: 製品から収集されるデータを活用した新たなサービス(例: 予兆保全、稼働最適化レコメンデーション)を企画する際に、顧客がどのようにサービスにアクセスし、情報を得て、行動するのかを顧客行動として定義。それを実現するために必要なバックステージでのデータ分析、アラート発信、サービス担当者への連携といった内部プロセスを設計する。
まとめ
サービスブループリントは、製造業において、製品単体ではなく顧客が製品を利用する前後を含めた「体験」全体をデザインするための非常に有効なデザイン思考ツールです。複雑な顧客体験を構成する要素と、それを支える組織内部のプロセス、そして部署間の連携を可視化することで、隠れた課題やイノベーションの機会を発見できます。
本記事でご紹介した実践ステップは、あくまで一般的な流れです。皆様の組織の状況や対象とする顧客体験に合わせて、柔軟に進めてください。多様な部署のメンバーを巻き込み、顧客視点を常に持ち続けることが、成功の鍵となります。
ぜひ、貴社のプロジェクトや業務において、サービスブループリントを活用し、顧客に真に価値ある体験を提供するための一歩を踏み出してみてください。